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Gamou.jpg会津若松は(当時黒川と呼ばれる)は、戦国大名の廬名氏の領国の拠点として、奥州最大の都市として発展しました。天正17年(1589年)に勢力拡大していた伊達氏が芦名氏を滅ぼし、新たな拠点としました。


翌年の天正18年(1589年)豊臣秀吉により行われた奥州仕置にて黒川は取り上げられ、それに代わり蒲生氏郷が入封し故郷の近江国の神社近くにあった若松の森にちなんで黒川を若松と改めました。また楽市楽座の施行、手工業の振興、黒川城の近代城郭への改修などに功績を残しました。

氏郷の死後、直江兼続の主君上杉景勝が会津入りし、120万石を領することになりましたが、関ヶ原で徳川家康に敵対し敗れて米沢へ移封となり、その後、1643年に徳川三代将軍家光の弟、保科正之が入封して以来会津は、松平家の城下町となりました。

文久2年(1862年)に当時の会津藩主松平容保は京都守護職として任じられ、尊王攘夷派の取り締まりや京都の治安維持を行いました。このことから倒幕派の恨みを買い、戊辰戦争が勃発すると激しい攻撃の対象となりました。新政府の容赦無い攻撃により城下町の大半が失われました。

明治維新後は若松県が設置され、1876年に若松県、旧福島県、磐前県が合併し、現在の福島県となりました。

1955年には、周辺7村を編入した際に都市名を若松市から現在の会津若松市に変更しました。

現在は、会津戦争にて失われた鶴ヶ城が復元され、古都若松の風情を残した都市となっています。蒲生氏・松平氏の下で発展した漆工芸も現在まで脈々と続き、伝統を守りながら発展しています。